コンタクトの問題解決
人間が何かを「見る」ときは、ただボーッと見ているのではなく、見ているものから無意識にでもなんらかの意味を受け取ろうとしています。
そのとき、そこには次のような三つの機能が働いています。
情報を取り入れる入力器官としての眼を「ハード」、その情報を伝達して処理する頭脳の回路を「ソフト」として考えてみましょう。
@光学機能。
これは、網膜に焦点が結ぼれるかどうかの機能です。
見ることのハードとソフトでいうと、ハードにあたります。
近視や遠視や乱視などの視力の問題ですから、もっとも自覚しやすく、人と比べてもよくわかることです。
この検査は、ほとんどの人が経験されていると思います。
A運動機能。
この機能は、網膜に焦点を合わせる調節運動と、両眼の視線をそろえる輔鞍・開散運動です。
光学機能と同じく、ハードにあたります。
輔鞍運動とは両眼を内に寄せる運動で、開散運動とは逆に両眼を遠方に向ける運動をいいます。
調節運動と一緒になって、さまざまな方向へ眼を向ける統合運動をします。
これらの運動は本人が自覚しにくいもので、悪いクセがついていてもなかなかわかりません。
眼で対象物を見て追跡するときの反応としては、@眼を動かす、A顔を動かす、B身体を動かすといった方法があります。
しかし、眼球運動の基本形としては、顔や身体を揺らしたり動かしたりせず、眼だけで見ることが必要です。
もちろん、見る意識が伴った運動でなければなりません。
この眼球だけの動きがしっかり整ったうえで、実際の生活やスポーツの中で顔や身体も使って効率のよい見方をすれば、高いパフォーマンスにつながります。
イチロー選手は見本のような眼の動きを見せてくれます。
B情報処理機能。
情報処理機能は、意識や心、脳の問題で、ソフトにあたります。
光学機能や運動機能から得た情報と、過去の経験や知識、イメージを統合し、身体と協応して行動命令をつかさどる機能です。
そのため、心の動きが視覚能力に大きく関わります。
視覚運動の特性によっては、プレッシャーが強くかかると、奥行きや距離を手前に感じたり遠くに感じたり、狂いやすくなるタイプがあります。
恐怖心や攻撃的意識、追いつめられた状況で、視覚能力が向上したり、逆に低下するタイプもあります。
使命感や目的意識により、視覚機能が左右されたりもします。
どのような意識下でも視覚の運動機能に変化をきたさない人もいますが、ほとんどの人がなんらかのクセを持っています。
眼は風景を映す鏡ですが、あくまでも入力器官です。
眼から取り込んだ映像を脳で理解しなければ、私たちはそれを認知できません。
その意味で、眼と脳は一体の関係にあります。
ところが人間は、事実をいつも正確に情報処理しているとは限りません。
たとえば、つまずいて転びそうになり、手すりをつかんだつもりがつかみそこなっていた経験がありませんか?
実際には50センチ向こうにあるのに、眼では40センチぐらいのところに見えていたとしたら、つかみそこねることになります。
とっさの場合や、スポーツのように動きが速い場合は、とりわけこういったことが起こりやすくなります。
バッターがボールをとらえたと思っても、虚像を見ていて空振りすることもしばしばあります。
これらのことは、眼の機能の問題から起こることもありますし、身体の動きや意識、心の持ち方からも大きく影響を受けます。
このようなとき、ほとんどの人が、失敗の原因は身体側にあると思い、動作を反省します。
これは、眼で見たことが真実だという前提で判断したものです。
もちろん、眼を信じないことには不安で動けなくなってしまいますので、当然のことといえるでしょう。
しかし、脳は「実際にはありえない映像」を勝手につくりだしてしまうこともあります。
あるいは、本当は見えていないのに、「見えている」かのように映像をつないでしまうこともあります。
眼の物差しを持てば、眼で見た位置に間違いがあったという、動作の奥にある原因が見えてきます。
たとえば、盲点という場所が網膜にあります。
そこは視神経の集まっている場所なので、光を感じる細胞がありません。
視野には左右の眼に一つずつ、トンネル状に何も見えないところがあるのです。
【盲点を体感する】。
@片手で本を持っていっぱいに伸ばす。
A左眼を閉じて右眼で×を見つめる。
B×を見つめたまま、右の・を意識しつつ、ゆっくりと本を顔に近づける。
右の.が消える場所が盲点です。
個人差はありますが、約30〜40センチくらいのところで、ぼんやり見えていた右の黒丸が完全に消えて見えなくなる場所があります。
もっと近づくと、また現れます。
左右の眼を逆にしても同じことが起こります。
網膜の視神経が集まっている場所には像を映すフィルムがなく、そのエリアが盲点になるのです。
さっきの実験で黒丸が消えたのは、盲点と黒丸の位置が重なったからです。
しかし、普段の生活では盲点を感じません。
なぜなら、脳が、周辺や背景を参考に修正をほどこし、違和感がないようにしているからです。
ゴルフをやっている人は、ボールを地面に二個並べて体験してみるとよいでしょう。
眼のタイプにもよりますが、盲点が身体運動に影響を与えている場合もあるのですが、ほとんどの人は気づきません。
現実を正確に情報処理していない他の例として、錯視があります。
同じ大きさの円ですが、ちょっとした仕掛けで円の大きさが違って見えます。
また、映画やテレビは、一秒間に30数枚の画像を表示しています。
逆に言うと、三十数回、何も見えない空白の部分があるのですが、脳は途切れのない連続の動きとして見えるようにしています。
この途切れの間にコマーシャルを入れて、無意識に働きかけることを、サブリミナル効果といいますが、テレビ放送では禁止されています。
このように、脳は見えている現実をすべて正しく処理しているのではなく、都合よくつじつまを合わせているので、錯視は頻繁に起きているのです。
見るための三つの機能である光学機能、運動機能、情報処理機能が備わっていても、活動させるエネルギーが必要です。
それは「見る気」、「やる気」という心です。
「見る気」や「やる気」の「気」、つまり心には実体があるわけではありません。
人体を解剖しても見ることはできません。
しかし、それが存在することは、ほとんどの人の共通認識になっていると思います。
見ることと心は、とても大きな関係があるのです。
たとえば、勉強をしているとき、ざわざわと話し声が聞こえてくると集中できません。
気が散ります。
運転していて、家のガスを消してきたかな?などと心配事が出てくると気になります。
歩いていて靴の中に砂や小石が入ると気に障ります。
こんなとき、それまで意識とつながってしっかりと見えていた目標物は、網膜に映っているにもかかわらず、頭に入ってきません。
網膜に映る像を見ていた自分は、気によってよそ見をさせられてしまいます。
この眼を、私は「内の眼」と呼んでいます。
ひとことでいうと、心や意識の眼です。
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